きちじょういん
宥鎮和尚を中興開山とする。その創立年代は不詳であるが当山古記録には、それより以前すでに足利時代荒川清域に一宇が創建され、境内には八幡神社を勧請して別当職も兼ね、信徒多数と明記してある。本尊の毘沙門天は行基が天平年間(729〜49年)聖武天皇の勅頼により、敬刻開眼した像であると伝えられて、それより約700年後、室町時代の長禄年間(1457〜60年)上杉家の家宰である太田資清の長子道灌が江戸城築城のおり、上杉家に伝わる毘沙門天を北方の守り本尊として安置したのが文明7年(1475年)当院に寄進し、宥鎮、吉祥院本尊として勧請安置する。当院の建物は建長19年(1267年)雷火によって諸伽藍、楼門にいたるまで焼失し、荒川堤外より現在の境内地に移転する。明治39年3月20日再度の祝融に罹り、本堂はじめ庫裡、地蔵堂、天満宮など全山烏有に帰した。明治42年本堂が再建され、続いて庫裡、書院など逐次造営されたが、その後破損甚だしく、現存する本堂は昭和44年落慶、寺務所、庫裡は昭和47年に完成したものであり、現住職は中興開山宥鎮和尚より31代にあたる。