観福寺

観福寺
かんぷくじ
当山は妙覚上人を開基とし、その守り本尊であった千手観世音菩薩を本尊とする。特に江戸時代に宥賢上人、春永上人、良在上人、宥秀上人など歴代住職が観世音の利益を天下に布説して今に至っている。 開基妙覚上人については、平家の嫡流平維盛の長子六大丸は、頼朝に捕らえられたが、高雄の文覚上人の助命により、得度し妙覚となった。文覚上人流罪の後、再び捕らえられたが、守り本尊千手観音の妙智力により危難を脱し、大熊、斉藤などの家来に守られ、縁故のあった武州前川の里に草堂を営み、朝夕一門の菩提に回向していた。これを観了坊という。寛喜2年(1223年)3月17日妙覚上人は69歳をもって入寂したと伝えられている。明治初年、村社勢貴社別当寺の東福寺が村内の満福寺(現在墓地)と合寺し、大正末期にその満福寺が観了坊と合寺し現在の観福寺と改称した。しかし、一般には「前川観音」の名で遠近に知られている。寺の墓地には市内最古の寛元4年(1246年)の板碑がある。
山号
: 普陀洛山清浄光院
本尊
: 千手観世音菩薩
住所
: 川口市前川4-30-13