ぜんこうじ
建久6年(1195年)定尊の開創と伝えられている。定尊は尾張熱田の人で、6歳の時出家し常に法華経及び弥陀の名号を唱念し信州善光寺如来の模鋳を発願した。建久6年完成し、これを奉持して諸国を巡化中当地に一宇を建立安置した。これが当寺の起源である。定尊は承元4年(1210年)7月16日85歳で入寂。善光寺という名の由来については、かつて川口寺と言っていたものが、信州善光寺に似ているところから、だれともなく善光寺と呼ぶようになり、解消したという説もあるが不詳である。中興開山は一容であり元文2年(1737年)入寂。本尊一光三尊阿弥陀如来は、この一容の作であると伝えられている。当寺ははじめ天台宗であったが浄土宗に転じ、元禄8年(1695年)一容が本堂を再建、真言宗に改宗した。川口の善光寺とよばれ、今日に至っている。