こうみょういん
光明院は不動明王を本尊とする三七〇年以上の時を刻む寺院である。新編武蔵風土記には青木龍泉寺末寺と書かれている。光明院墓所内にある最古の墓は正保三年(一六四六年)と刻まれている墓地である。山門を入り左手にある、弘法大師千五十回忌御遠忌の記念碑を見ると、明治十五年十二月に光明院住職 石井祐道師・本寺龍泉寺住職 森田竜海師・光明院前住職 川口町東明院住職 田口真融師 さらには当家十九代として海老原茂左衛門と刻まれて、寺同士のつながりの深さや檀信徒の心の寄りどころとされていたのがわかる。しかし、廃仏毀釈の影響で記念碑記載の年月日以降(詳細は不明)明治期より住職が不在となり、本寺である青木龍泉寺住職が管理。現存する光明院の本堂は平成六年十一月に龍泉寺住職により建立、落慶された建物である。本堂内には両祖大師 【弘法・興教】(元禄十五年十二月十四日 《赤穂浪士討ち入りの日》)が祀られている。 平成十六年六月二十八日、現在の住職が中興開山。毎月二十八日には不動明王の縁日に合わせ、経典読誦会、法話会を開催している。平成二十五年に大聖歓喜天を勧請し、現在では月に二座、聖天浴油供を修している。