じっしょうじ
開山は不詳。しかし中興第1世の僧は宥賢であり、弘治2年(1556年)入寂と伝わっているゆえ、古く開創された寺であろう。本尊阿弥陀如来は恵心の作とも、春日の作とも伝わっている。傍らに地蔵菩薩が安置されているが、弘法大師の作である。この像の左手虧を失ったので、度々仏師に命じて補わせが、たちまち失ってもとのようになってしまった。それは高僧の作を凡下の者が補修したためであろうと、その後は修造しないことにしたと伝わっている。また、厨子の背後に高野山萱堂成就院宥栄、寛永18年(1641年)泰求之と記されている。当寺伝によれば、先住良賢高野山に遊学して下山の折に、師の僧より譲り請けたと伝えられている。ほかに、文殊の銅像が安置されている。これは、天竺より持渡した像であると伝わっているが、面相以下、普通の像と異なっている。また、薬師堂があり、本尊の傍らに日光菩薩、月光菩薩、十二神将などを安置している。新四国八十八ヶ所の内、讃岐国金倉寺に擬したものである。当時の過去帳に第6世法印宥海の時、貞亨5年(1684年)客殿一宇、薬師堂を造営して免田を寄進したと見られる。これが開堂のころであろう。境内の鎮守として、愛宕社、渡唐天神、疱瘡神等を相殿としている。